スポンサーリンク

「ロケットマン」映画の中の曲とその背景/エルトン・ジョン

ロケットマン 映画/ドラマ
ロケットマン
映画/ドラマ
この記事は約11分で読めます。

エルトン・ジョン

映画「ロケットマン」でエルトン・ジョンを知りたくなったので、使用されている曲や背景を書き残しておきます。自伝ではなく、ミュージカル・ファンタジー であるとのこと。

出生名レジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)
出身イングランド・ミドルセックス州ピナー
生誕1947年3月25日

父 スタンリー・ドワイト (1925年-1991年)

  • イギリス空軍、飛行中隊長

母 シェイラ (1925年-2017年)

父スタンリーは飛行中隊長ということもあり、家に居ないことも多く、1962年にスタンリーとシェイラは離婚します 。その後エルトンはシェイラと祖母アイヴィと暮らします。

祖母 アイヴィ

エルトンにピアノを弾くことを勧め、王立音楽院についても「こんなチャンスは然う然う訪れるものじゃない」とエルトンの背中を押します。

ロケットマンの映画の中の曲とその背景

カウント・ベイシーのレコード

カウント・ベイシー
カウント・ベイシー

エルトンの父、スタンリーのレコードコレクションとして、カウント・ベイシー のレコードが劇中に登場します。

Lee – Stan Getz, Jimmy Raney, Terry Gibbs

モーツアルト「トルコ行進曲」

4歳でピアノを弾き始め、11歳で王立音楽院に合格します。劇中ではモーツァルトの「トルコ行進曲」を演奏。

ピアノ教師によると、一度聴いただけのヘンデルの曲を完璧に聞弾くことができたとのこと。

王立音楽院には、毎週土曜日に18歳未満を対象とする「青少年のための教室」(a junior department)も開かれ、世界各国の音楽的な才能に恵まれた青少年を集めている。イギリスの音楽学校の児童教室の中で、最も需要の多い機関として有名である。青少年部門の卒業生に、エルトン・ジョンがいる。

The Bitch Is Back/あばずれさんのお帰り

幼少時代のシーンの曲

  • https://youtu.be/e8RzSRIKGvs

I Want Love

少年期のシーンの曲

  • https://youtu.be/ufbexgPyeJQ

2001年のアルバム「Songs From The West Coast」の収録曲で、シングルとしてリリースされた曲です。ロイヤルメールの広告にも使用されました。

2002年、「I Want Love」はグラミー賞のBest Male Pop Vocal Performanceにノミネートされました。

エルトンとスタンリー

「I Want Love」は青年期のエルトンと父スタンリーとのシーンに使われています。

オックスフォード大学のオックスフォード・ユニオンの席で、次のように語ったことがVOGUEに紹介されていました。

「父は僕に愛していると一度も言ったことがないし、抱きしめてくれたこともないんだ。」

https://www.vogue.co.jp/celebrity/news/2015-11/15/elton-john

しかし、エルトンの異母兄弟であるジェフ・ドワイトは、劇中の父の描かれ方について次のように語っています。

「僕の中にエルトンに対する悪い感情はないんだ。それとはほど遠いものだ。彼のことは愛しているし、ただ、二人の道が別の方向へ進んでしまったということなんだ」

https://nme-jp.com/news/73886/

1962年、エルトン15歳の時にスタンリーと シェイラ は離婚します。

Elvis Presley「ブルー・スエード・シューズ」

1956年発売のエルビス・プレスリー の1st アルバム。エルトンが「ロックンロールになりたい」とリーゼントヘア(エルヴィスヘア)にしたキッカケとなったアルバムです。

曲は「ブルー・スエード・シューズ」

  • https://youtu.be/k-bMkL7fUUY
Elvis Presley
Elvis Presley

シューベルト ピアノ五重奏曲「ます」

王立音楽院での演奏シーン、リーゼントヘアで演奏するエルトンに不振な表情の先生が印象的です。

  • https://youtu.be/qPtOftkp0YU

Saturday Night’s Alright /土曜の夜は僕の生きがい

王立音楽院に通う少年が酒場でロックンロールを歌うシーン、青年となり遊園地で踊るシーン、そして「ブルーソロジー」として演奏するシーンへと、エルトンの成長と共に、場面は移り変わります。

  • https://youtu.be/Bkcogvkk9Vw

ブルーソロジー(Bluesology)

エルトン・ジョンはソロデビューする前、1964年にブルーソロジーというバンドに参加していました。

ブルーソロジーは、演奏を見ていたソウルのプロモーターに、アメリカからイングランドにくるソウル・ミュージシャンのバックバンドを1人週2ポンドでしないか?と声を掛けられます。

ソウルミュージシャンのバックバンド

ソウルミュージシャンのバックバンドで演奏の腕を上げます。

アメリカン・ソウル・ツアー

  • パティ・ラベル、アイズレー・ブラザーズ、メジャー・ランスなどのバックミュージシャンを務める

ソウルミュージシャンから曲を書くことと、改名を勧められ、これまでの自分をころし、なりたい自分になれと言われます。

エルトン・ジョンに改名

20歳の時に芸名を「エルトン・ジョン」とします。ブルーソロジーのメンバー、エルトン・ディーンとロング・ジョン・ボールドリーから取ったもので、25歳の時に正式にエルトン・ハーキュリーズ・ジョン(Elton Hercules John)に改名します。(エルトン・ジョンの知られざる14の真実より)

劇中では、ビートルズのジョンから取ったような作りになっています。

作詞家 バーニー・トーピン

レコード会社へ自分を売り込みに行き、作詞家希望であるバーニー・トーピンの歌詞を手渡され、それに曲を付けます。

  • Border Song
  • ダニエル

ウィリアムズはNME誌に運命的な広告を載せた。それに応募したのがレジナルド・ドワイトと、ポップ音楽の作詞家志望だったバーニー・トーピンであった

『ロケットマン』で描かれていない、エルトン・ジョンの5つの真実

Border Song /人生の壁

バーニー・トーピンの詞に曲を付けたエルトンは、リージェンシーカフェでバーニー・トーピンと会い、マーティ・ロビンス(カントリーウエスタン)の音楽の話で意気投合します。

  • https://youtu.be/3VIH11m6QGk

そして、ホンキ―キャットを書き上げます。

DJMレコード

1968年、エルトンとバーニー・トーピンは、レイ・ウィリアムズ(ディックの部下)の押しもあり、週に10ポンドで ディック・ジェイムズのDJMレコードと契約します。

Your Song /僕の歌は君の歌

エルトンとバーニー・トーピンで借りた部屋の管理人アラベラからアプローチされたエルトンは、彼女に興味なかったことを告げると激怒され、部屋を追い出されてしまいます。

2人はエルトンの実家に居候となり、Your Songを書き上げます。

エルトン・ジョン「YOUR SONG(僕の歌は君の歌)」名曲誕生の瞬間! 映画『ロケットマン』本編映像

Amoreena /過ぎし日のアモリーナ

アメリカ初上陸のシーンの曲

Your Songを聴いたディック・ジェイムズは、名曲でありアメリカで勝負できる曲だと。1年で3枚のアルバムと、トルバドールで演奏するプランを立てます。まず、派手な衣装をと。

トルバドール

伝説のライブハウス、トルバドールは老舗中の老舗
ボブ・ディランやジョニ・ミッチェルニール・ヤングエルトン・ジョンビリー・ジョエルジャニス・ジョップリンなどが常連客でビッグスターがロサンゼルスでのデビューを飾る際に選んだ場所。

ルート66

ニール・ダイアモンドやビーチボーイズらが客席にいることに興奮するシーンがあります。

Crocodile Rock

  • https://youtu.be/JrpI7WbJcO8

トルバドールで演奏するシーン。逆立ちして浮遊するシーンは実際のコンサートシーンからです。

Elton John in concert during the 1970s, doing one of his flying handstands, extending out from the piano keyboard, typically revving up the audience with his energetic performances.

Elton John’s Decade

Tiny Dancer /可愛いダンサー (マキシンに捧ぐ)

トルバドールでのライブの後のパーティーシーン。成功したものの不安がある様子が映し出されます。

  • https://youtu.be/yYcyacLRPNs

Take Me To The Pilot /パイロットにつれていって

パーティーで、ジョン・リードと出会い関係を持つシーンからこの曲が流れ、トルバドールでのライブの反響により、アメリカの滞在を延長することとなるシーンまで。未来が輝きだした様子がわかります。

Hercules

派手なパフォーマンスをするライブ場面から、様々なメディアに取り上げられるシーンでこの曲が流れます。

  • MCAと契約
  • 「黄昏のレンガ路」103週チャート入り
  • 「ホンキ―・シャトー」1位

Don’t Go Breaking

1976年にリリースしたデュエット曲で、 デュエット相手のKiki Dee (キキ・ディー) は、エルトンが立ち上げたレ-ベル「ロケットレコーズ」に最初に所属した女性シンガーとのこと。(Elton John-Don’t Go Breaking My Heart 歌詞の意味と和訳より)

Honky Cat

ジョン・リードと再会から恋人となり、ジョン・リードがマネジメントにより成功する様が描かれています。

ジョン・リードと個人マネジメントを組み、ディック・ジェームスとレイ・ウィリアムズはエルトンから離れます。

アルバム 「Empty Sky」

再婚した父に会いに行き、 スイスの老舗「ショパール」の 高級時計をプレゼントします。父親にサインを頼まれるアルバムは1969年発売の 「Empty Sky(エンプティ・スカイ)」 です。

Empty Sky
Empty Sky

異母兄弟である弟を抱き上げる父の姿にエルトンは涙します。

母へカミングアウト

母は既にエルトンがホモセクシュアルであることをわかっていたことを告げます。また劇中、少年時代のエルトンが女性誌を見ようとすると、父が止めるという場面があります。父親も気づいていた様子が伺えます。

Pinball Wizard /ピンボールの魔術師

父との出来事の後、酒や薬に溺れることになります。

エルトン・ジョン(68)は今はなき父親から拒否されたことが薬物と酒にまみれる悪循環に陥った原因だと考えているそうだ。

https://www.vogue.co.jp/celebrity/news/2015-11/15/elton-john

Rocket Man

多量の薬を飲んで、プールに飛び込むシーン。名声とお金はあるが、孤独を感じているエルトンの心情が映し出され、ドジャー・スタジアムで歌うシーンまで。

エルトン・ジョンは、1975年にドジャー・スタジアム公園を行っています。

Elton John – The Bitch Is Back (Live At The Dodger Stadium)

この頃、ジョン・リードとの恋人関係は解消し、バーニー・トーピンは暫く休みたいと提案します。

Bennie And The Jets

「一生独りの人生を選んだと自覚していることを祈るわ、誰からも本気で愛されることはない」と母から言われた回想シーン。

僕のことをわかってくれないと、ジョン・リードと言い争います。

Don’t let the sun go down on me /恋のデュエット

70年代にバイセクシャルをカミングアウトしますが、1984年にドイツ人のレコーディング・エンジニアの女性レネーテ・ブリューエルと結婚します。オーストラリアで結婚式をあげ、1988年に離婚しています。(vougeより)

僕はただいい夫になりたかったが、本当の自分を否定していたために、妻を悲しませてしまった。そして、自分自身にもこの上ない罪悪感と後悔をもたらした

エルトン・ジョンが結婚した女性はだれ?

Sorry Seems To Be The Hardest Word/悲しみのバラード

エルトンのスキャンダルでお母さんはイギリスにいられないと語る義父。あなたの母親で私がどれだけ失望してきたかと語る母。

Goodbye Yellow Brick Road

しばらく休みたいと言い離れたバーニー・トーピンと僕を見捨てたというエルトンの言い争いの場面。そして薬に頼り、心臓発作で倒れます。

I’m Still Standing

更生施設のカウンセリングで改善している様子で話すエルトン。そして音楽セラピー室で、バーニー・トーピンの歌詞に曲を付け、復活します。

エンディングへ

エルトンは28年間禁酒を守り続けました。リハビリを終え、エイズ基金を設立、バーニー・トーピンとは共作を続けています。

2005年、映画監督でプロデューサーのデヴィッド・ファーニッシュとパートナーシップを結び、2014年に結婚。2人の息子ザカリーとイライジャの子育てに専念しています。

(I’m Gonna) Love Me Again 

エンドロールの曲です。

出演

  • 作詞家 バーニー・トーピン
  • マネージャーでエルトンの恋人 ジョン・リード
  • レコード会社の重役 ディック・ジェームス
  • ディックの部下 レイ・ウィリアムズ
タイトルとURLをコピーしました